第一夜① ヘレン・ケラーと塙保己一

ども、居酒屋ヒストリアンのとしちゃぱです😆

 

さて、記念すべき1回目、何から話そうかと思ったのですが、、

今日は6月27日、ちらし寿司の日です。でも寿司の歴史は

テンション上がらないので、、😅

同日誕生日の方はを取り上げようと思ってGoogle先生に伺うと、

本日はヘレン・ケラーさんの誕生日なんですってね。

ということで、ケラーさんについて徒然なる話をしてみたいと

思います。

 

彼女のことを個人的に初めて知ったのは小学校の道徳の時間だった

ような気がします。歴史上の偉人ですが、世界史ではほとんど名前を

お見受けしませんよね。三重苦に負けずたくさんの世界で苦しんで

いる人たちの希望となった人ですね。

 

ヘレン・ケラーさんは1880年6月27日アメリカはアラバマ州に生まれました。

日本で言えば明治13年頃でしょうか?

この「頃」というのはご愛嬌で、、なんせ居酒屋ヒストリアンですから、

居酒屋で話す時はこんな感じですよね😅

 

有名な話ですが、彼女は1歳半の時高熱に伴う髄膜炎に罹患し、聴覚と視力を失い、

そのため言葉を話すこともできなくなりました。

子供の頃は彼女自身の不幸に色々と思うことがありましたが、大人になった今、

ご両親のお気持ちが如何程だったことかと、そちらへの気持ちも強くなります。

 

彼女は生後半年もせず言葉を発し、1歳で歩いたという話が残っています。

随分と早熟だったのですね。それだけにご両親や周りの人の期待や楽しみも一入だった

のだと想像します。

故に、彼女の病気はご両親にとってもさぞ辛いことだったでしょう。

 

ですが、このご両親の元に産まれたことが彼女の幸福だったのだと思います。

彼女の両親は彼女のことを諦めず、彼女のために立派な家庭教師を探すべく、米国中を

旅しました。そんな両親の努力の甲斐もあり、出会うことができたのがヘレン・ケラー

生涯の教師であり、友人となったアン・サリバンでした。

彼女が家庭教師になってくれたお陰で、目も見えず、耳も聞こえない状態で、

「しつけ」「指文字」「言葉」を教えた。アン・サリバンの凄さはただ知識と教養のある人ではなく、

本能とわがまましか無い状態のヘレンに「愛」というものを教え、一つ一つの物や事象に意味があることを

教えました。

コップと水を同じ意味に捉えていた彼女を井戸まで連れていって水に触れさせて「ウォーーターー」と叫んだ

話は有名ですよね😄

 

そんなこんなでヘレン・ケラーは成長し、障害福祉や教育の向上に貢献し、世界中の福祉向上に活動する人となり、

日本にも3度訪日されています。

さて、その初来日の時(1937年で日本では日中戦争が始まった年、太平洋戦争の4年前ですね)、渋谷の温故学会

を訪問した時の話。彼女は一つの机とある人の像に触れ、次のように語りました。

 

「今日、こうして温故学会を訪問して先生の像に触れることができましたのは、日本の訪問の中で最も意義深いものでした」

 

さて、彼女の言う「先生」とは一体誰なのか?

居酒屋で言えば、そのお話はお酒をお代わりしてからということで。